2008年04月03日
ソンツェン・ガンポ王の像
ほうほう、こんなことだったですね。
たいぶ昔に習ったことだから忘れてしまっていました。
634年、ソンツェン・ガンポ王は唐へ相互に使臣を遣わし、礼物を贈りあう。さらに王国の南に位置するリッチャヴィ朝ネパールに使者を遣わし、ティツィン王女(赤尊公主)を妃に迎える。さらに636年、唐の太宗のもとへ妃を迎えるため使者を遣わすが、太宗に拒絶される。同年、王は20万の兵を率いて唐の強い影響下にあった青海の吐谷渾に出兵、白蘭などの羌族の部落を攻め落とし、松州(現四川省松潘県)に迫るが、唐に敗れた。その後、再び太宗のもとへ求婚の使者を送り、さらに大臣ガル・ドンツェンを遣わし、金五千両を結納として贈る。641年、唐王室の娘である文成公主を妃として迎える。王は文成公主が赭面(しゃめん:顔に赤土を塗る)の風習を嫌がったためこれを禁じるなど公主に対して丁重に扱った。文成公主は、唐から連れてきた工匠たちに小昭寺(ラモチェ)を建立させ、釈迦牟尼像を祀り、ティツィン王女(赤尊公主)の大昭寺(ジョカン寺、トゥルナン寺)建立を手伝った。この文成公主との結婚(唐では降嫁と呼んだ)により、唐との結びつきを強めた。さらに王は貴族の子弟を唐の都、長安へ留学させ、唐を参考にして吐蕃の軍事・行政制度を整えた。646年、王は太宗の高句麗遠征勝利の祝賀に大臣ガル・ドンツェンを遣わした。647年、ヴァルダナ朝北インドの王、ハルシャ・ヴァルダナ(戒日王)が亡くなり混乱したヴァルダナ朝へ派兵し、政権を簒奪したアルジュナを捕らえ、唐の使者王玄策を保護した。649年、唐の太宗が逝去し高宗が即位すると、王は馬都尉(公主の夫が受ける官位)、西海郡王の官位、多数の礼物を受ける。さらに太宗の霊前に十五種の金銀珠玉を供えると、さらに賓王の位と礼物を贈られた。 また優れた唐の工芸技術(蚕種、酒造、製紙、製墨)を取り入れるため唐から工匠の派遣を得た。 こうして吐蕃を発展させた、ソンツェン・ガンポ王は649年病のため逝去した。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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